取材の記録

場所
インドネシア・スマトラ島北端、アチェ州
時期
2026年2月中旬(発災から約3ヶ月後)
何が
2025年11月のサイクロンによる大規模な水害
一緒に
現地のキリスト教系団体 YEU の皆さん
作った物
記録映像1本(撮影・制作)

この記事の要点

  • 2025年11月、赤道に近いインドネシア・アチェ州を大規模なサイクロンが襲い、決壊した川の4〜5メートルの濁流が街や村を飲み込んだ。
  • 被害が大きくなった背景には、気候変動と、アブラヤシ農園の開発で水を蓄える力を失った土壌があると指摘されている。
  • 発災から3ヶ月が経っても、家や田畑には分厚い泥が残り、公的な支援は届ききっていなかった。
  • 現地の団体と炊き出しと物資の支援を行い、その様子を記録映像1本にまとめた。

インドネシア・スマトラ島の北端に位置するアチェ州は、赤道にほど近い、農業を主な生業とする土地だ。2004年のスマトラ島沖地震・津波で最も大きな被害を受けた場所としても知られる。その海辺の街を昨年11月、大規模なサイクロンが襲った。数万人が家を追われ、甚大な被害が出たという報せを受けて、発災から3ヶ月が経った現地へと向かった。

上空から見た、泥に覆われたアチェの村とモスク
水が引いた後も、村は泥に覆われていた。アチェ州、2026年2月。

なぜ、これほどの被害になったのか

赤道の近くでは、地球の自転による力(コリオリの力)が弱い。本来、これほど強いサイクロンが直撃するのは珍しい場所だ。その「想定外」の背景には、気候変動があると指摘されている。

さらに追い打ちをかけたのが、人の手による土地の変化だった。その夏、隣のカリマンタン島で初めて目にしたアブラヤシのプランテーション。アフリカ原産のアブラヤシは、育つ過程で土壌の水分や養分を極端に吸い上げてしまう。本来なら雨水を蓄えるはずの、インドネシアの豊かな土。それが開発で力を失い、硬く痩せてしまっていた。

斜面に植えられたアブラヤシの農園森が切り開かれた丘陵地
アブラヤシの農園と、切り開かれた森。インドネシア。
気候変動という自然の猛威と、
人災とも言える土壌の破壊。

その二つが重なり合った結果の、凄まじい景色が広がっていた。

水が引いても、泥は残り続ける

川が決壊し、4〜5メートルの濁流が街や村を飲み込んだ。これほど大規模な水害の現場に立つのは初めてだったけれど、いちばん深く刻まれたのは「泥」の被害だった。発災から3ヶ月が経っても、家の中には分厚い泥が残り続ける。個人の力ではどうしても掻き出せない泥を前に、途方に暮れる家族がいた。

乾いてひび割れた泥が床を覆う家の中濁流で傾いた建物
家の中に残った泥と、流れに押された建物。

アチェは農家の方々が多く、田畑もその泥に沈み、多くの土地がだめになってしまった。取材をした村では、その日食べていく事が精一杯。ココナッツを食べて飢えを凌いだり、それをなんとか売って生計を立てたり。年度末という時期も重なった。政府もこれほどの規模は予期していなかったようで、公的な支援が届ききっていなかった。

アチェの街の市場
暮らしを立て直そうとする街の市場。

炊き出しから、暮らしの糧へ

今回は、現地のキリスト教系団体 YEU の皆さんと活動を共にした。炊き出しから始まり、物資の支援。そしてただ配るだけでなく、受益者の方々のこれからの生活の糧につながるような活動に、誇りを感じた。

僕が見ていた景色、インタビューをした方々の声、支援の様子。今の僕が持てる全力を尽くして、映像にまとめた。

水位5mの恐怖、泥に奪われた日常 — アチェ緊急支援の記録 水位5mの恐怖、泥に奪われた日常 — アチェ緊急支援の記録YouTube で観る →

4年前と同じ、ラマダンの祈り

4年前、初めて海外取材で訪れたバングラデシュも、ちょうど今と同じ、ラマダンの時期だった。帰りの車中でアザーン(礼拝の呼びかけ)を聞きながら、これまでの4年間に思いを馳せた。どれだけ長い時が経っても、あの時の祈りは聞かれているんだと感じた。

泥の残る村でカメラを構える成田淳

世界では戦争が起きていたり、予期出来ない悲しい事が数多く起きている。それでも、この現場に遣わされているからこそ、出来る事があると信じて。

成田淳

成田淳(Narita Jun)

映像作家・映像ジャーナリスト。1993年名古屋生まれ。国際NGOのスタッフとして災害・人道支援の現場に立ちながら、人と生き物と地球のドキュメンタリーを制作している。グリーンフィルムフェスティバル2024 最優秀賞。

この記事は、2026年3月6日の Instagramの投稿 を、読み物として書き直した物です。