取材の記録
- 場所
- 静岡県静岡市清水区(江尻町、山間部の両河内)
- 時期
- 2022年9月28日〜(災害から5日目)
- 何が
- 台風15号の大雨による巴川の氾濫と、山間部の土砂被害
- 一緒に
- 静岡の環境活動家、現地のボランティアリーダー、大学生たち
この記事の要点
- 2022年9月23日から24日、台風15号の記録的な大雨で静岡市清水区の巴川などがあふれ、5,000棟近くが浸水し、6万戸以上が断水した。
- 災害から5日目に現地へ入り、仲間と山間部の両河内を中心に支援物資を届けながら取材した。
- テレビや行政に怒る高齢の方と、自分で情報を探して駆けつけた若い世代。世代ごとに、メディアや行政への見方が違った。
初出 2022.10.01(Instagram)/ 更新
静岡市清水区は、駿河湾に面した港町だ。2022年9月23日から24日、台風15号による記録的な大雨が降った。静岡では12時間に404.5ミリと、観測史上最大の雨を記録した。市内を流れる巴川とその支流があふれて、5,000棟近くが浸水した。川の取水口が土砂でふさがれ、清水区では6万戸以上が断水した。

「今、行かないといけない」
9月27日、災害から4日目。僕は長崎に出張していて、SNSで静岡の被災状況を知った。直感で「今、行かないといけない」と思った。静岡に住む環境活動家の友人に連絡をして、帰りの新幹線の中で情報を集め、取材の約束を取った。
けれど、今まさに被災している方々には、そんな対応をしている余裕は無い。SNSには、過去の震災の写真や、画像生成AIで作られた偽の情報が混ざっていた。見分ける事が、とても難しかった。行政は組織として承認を重ねる分、どうしても初動が遅れる。現場の確かな一次情報を届ける為に、個人で動く取材者の役目があると思った。
名古屋に着くまでに、現地のボランティアリーダーから必要な物資のリストが届いた。どこに取材に行き、どこに物資を届けるかも、もう決まっていた。仲間が全国から物資と募金と人を集め、現地で動く人がいて、僕は現地から伝える係になった。
一本奥に入ると、道は泥にまみれていた
仲間とチームを組み、支援物資を山間部を中心に届けながら、現地の情報発信を行った。中心部は、住民の方々の尽力もあって、一見すると災害を感じさせないほど復旧が進んでいた。けれど一本奥に入ると、道路は泥にまみれ、乾いた泥が砂ぼこりになって目が痛い。巴川の隣の江尻町では、積もり積もった日用品の山が通りに並んでいた。その一つひとつに、家族がいる。
取材をして本当に思ったのは、世代ごとに、メディアや行政への認識がまったく違うという事。高齢の方や主婦層の方々は、テレビが報道しない事、行政が動かない事に、強く怒っていた。「行政も警察もテレビも、誰も助けてくれない」。地元の高校生と力を合わせて、なんとか普通に暮らせるところまで片付けたという。
テレビを見ない若者たち
でも、豊橋から来た22歳の大学生も、関西の学生も、山梨から来たTikTokerも、テレビを見ない。最初から、国や行政に期待していない。自分で情報を探し、自分で判断して、現地の力になりたいと集まっていた。どちらがいいという話ではない。
カメラを彼らに向けながら、
日本の将来は明るいなと、単純に思った。
呼びかけで集まった募金は、1日足らずで60万円近く。20万円分ほどの支援物資を購入して、疲れた身体で、彼らはまた買い出しへと向かう。まだまだ現地では、若者の力が必要とされている。僕は僕の役目で、取材を続ける。

大きな災害の中の、小さな家族の物語
大きな物語は、大きすぎるがゆえに、人がその痛みを想像する事さえ難しい時がある。けれど小さな物語は、あなたとわたしが同じ人間である事を思い出させてくれる。清水区の取材の中で、そんなご夫婦に出会った。
復興の片付けが終わった頃、清水区に再び雨が降り、山間部での二次被害が心配された。その時、奥さんは本気で思ったという。「山間部のおじいちゃん、おばあちゃんを助けに行かないといけない」。本当に大変な時に人を助けるのは、多くの友人の数でも、数字でもなく、こういう人なのだと思う。
取材の後も、娘さんの運動会の写真を送ってくださった。2ヶ月後には地元の魚のお寿司を囲んで、これからの事を語り合った。帰り際に、娘さんと一緒に心を込めて作ってくださったお守りをいただいた。「取材の時に持って行ってね」。静岡に、もう一つの帰る家が出来た。
