三脚のカメラで収録する成田淳

Ministry — クリスチャンとしての歩み

バッドニュースを、
グッドニュースに。
教会で出会った映像で、仕えてきた歩み

Ministry — Nagoya · 2011 — 2026 · Faith / Church media / Mission

このページは、僕がクリスチャンとして、どの様に歩み、映像のミニストリーを続けてきたのかの記録です。

本当に色んな事があったけど、僕なんかの力ではなくて、周りの方々に支えられ、沢山愛して頂いて、ここまで歩んで来れたんだって、本当にそう思っています。

— Instagram、2022年9月、もうすぐ29歳の日に

成田淳について
  • 成田淳(なりた じゅん)は、1993年、愛知県名古屋市生まれのクリスチャンの映像作家・映像ジャーナリスト。日本とフィリピンにルーツを持つ。
  • 18歳の時、名古屋・栄の教会のストリートライブで教会に出会い、教会で映像制作を始めた。
  • 教会メディア(礼拝・カンファレンス・キャンプの映像)、ゴスペルのミュージックビデオ、宣教団体の映像、証と講演を作ってきた。作品は Ministry Works に。
  • アンテオケ宣教会のメディアスタッフ。関西聖書学院60周年記念映像、パークサイドチャペル(東名古屋キリスト教会)の映像、インドネシアミッションの公式PVなどを制作。
  • テレビ番組「ライフ・ライン」(2025年5月・6月)で、これまでの歩みが2回にわたって紹介された。2024年10月、アンテオケ宣教会の結祈スペシャルで「ソーシャルメディアによる異文化宣教」をテーマに話した。
  • Magnify Tokyo マガジン(2025)に、信仰とクリエイティブをテーマにしたインタビューが掲載された。
  • 2025年11月から、国際NGOの映像スタッフとして人道支援・災害対応の現場に立っている。

00はじまり

始まりは、ストリートライブだった。

差別や、様々な経験の中で、自分の人生を諦めそうになった時に、高校の文化祭を通じて「映像」に出会った。初めて、自分が出来ること。

けれども、家庭環境の事もあり、進学を諦めて、希望が途絶えた。

でも、栄の街中で、教会のストリートライブで、初めて教会の人に出会った。その後、マクドナルドに行って会話をしていると、「じゅんって、何かやりたい事ないの?」

「僕は、映像を作りたい!」

— 18歳、マクドナルドで

そうすると、教会の方も、映像を出来る人を探していて、そこから、もう一度、映像制作が始まった。

教会の人と出会った頃
教会の人と出会った頃
教会の時代
教会の時代

012012 — 2016

僕は、教会で育った。

そして、すぐに洗礼を受けて、スーパーで働きながら教会に行く生活が始まった。20歳の成人式もそうだけど、兄弟姉妹に囲まれて、僕は教会で育った。

映像以外にも、写真や、ライブ配信、照明から、ホームページからSNSと、教会でたくさんの機会に出会えた。

2012年6月10日、洗礼を受けた時
2012年6月10日、洗礼を受けた時
洗礼の日、仲間と
洗礼の日、仲間と
スーパーで働きながら、教会に通っていた頃
スーパーで働きながら、教会に通っていた頃
教会で
教会で
教会の仲間と
教会の仲間と
2012年夏、初めてのサマーキャンプ
2012年夏、初めてのサマーキャンプ
2012年9月、映像を作っていた頃
2012年9月、映像を作っていた頃
仲間と編集作業
仲間と編集作業
教会で出会った仲間と
教会で出会った仲間と

教会におけるメディアの役割って外の発信もあるけど、自分の家族の成長記録が1番大きな役割なのかもな〜! 記録されて、残って、手渡せて、一緒に見れて、何かもう最高なんだよね。

— Instagram、2024年7月

与えられていたもの

始めて教会で誕生日をお祝いしてもらった時の事。生きてて良いんだって本当に思った。

— Instagram、2022年9月、これまでの記録を振り返って

この頃の作品 教会メディア

022016 — 2017

神様が、個人的に与えている使命。

そして、ある夏のサマーキャンプのメッセージで、2016年、「神様が個人的に与えている使命。」というメッセージを受けて、その頃から、バッドニュースをグッドニュースに。自分の賜物を、世界で用いたいと思った。

それから、スーパーを辞めて1年間、映像のアルバイトや、宗教法人でのアルバイト、教会の収益事業も含めて、教会で働いた。

その頃の言葉 — Instagram、2020年3月・2022年9月

  1. 2017年3月・23歳

    家は、裕福な方の家庭では無かったから、僕に投資をしてくれる人は居なかった。だから、自分に与えられた賜物を信じて、自己投資で、23歳の時、300万近くの借金を背負って、映像の仕事を始めました。後に引けない状況。誰も知らない東京での日々。徹夜の毎日。

当時の言葉を、もっと読む(1)
  1. お金の事

    5年前は、スーパーで働きながら、一件1.5万円。4年前は、映像のアルバイトを始めて、一件15万円。

2016年10月、教会で
2016年10月、教会で
2018年11月、仲間に編集を教えた日
2018年11月、仲間に編集を教えた日
2019年1月、メディアチームの仲間と
2019年1月、メディアチームの仲間と

僕が10代の時から教会に通い、何となく示されていた事は「バッドニュースを、グッドニュースに。」日々心が侵される悪いニュースを、心の栄養となる良いニュースに変えられないだろうか。

— Instagram、2022年9月

与えられていたもの

何も無かった僕に家族を与え、いつも包み込んでくれた教会に感謝して。

— Instagram、2021年7月

この頃の作品 教会メディア

032018 — 2020

世の中へ。そして、神様との個人的な関係。

教会で働いている時に、社会に出ていく事を示されて、東京での修行や、学びが2018年から始まった。

また、同じ時期に、教会でのトラブルも発生をして、数年、教会に行けない生活も発生をした。

社会に出ていくと、様々な機会や仕事には恵まれたが、どんどん世の中に引っ張られていく自分もいた。

東京時代の仕事の現場
東京時代の成田淳
東京時代
宮迫博之さん出演MVの撮影チームと
2020年9月、監督を務めた宮迫博之さん出演MVの撮影チームと

2018 — 2020 誰も知らない東京での日々

徹夜の毎日。

ディレクターとして
ディレクターとして
機材の設営
機材の設営
監督として現場に
監督として現場に
仕事の様子
仕事の様子
東京時代にお世話になったあやさんと、撮影の日
東京時代にお世話になったあやさんと、撮影の日
27歳の誕生日、東京で
27歳の誕生日、東京で
東京の事務所
東京の事務所
事務所のホワイトボード。毎日、議論していた
事務所のホワイトボード。毎日、議論していた

その頃の言葉 — Instagram、2019〜2021年

  1. 東京に出た最初の頃

    最初の方は、記憶が無い程に製作漬けの毎日で、カプセルホテルを転々としたり、友達の家に泊まらせて頂いたりで、寝る所も、ご飯も安定しなくて本当に大変で、駅のホームでワーシップ聞きながら1人大号泣して、不安に押し潰されそうな日々。

当時の言葉を、もっと読む(4)
  1. 東京駅のホームで

    東京駅のホームで、現場のプレッシャーに耐えきれなく、1人賛美を聞きながら大号泣した日もあったし、お金が無くて、友達の家に1週間素泊まりしつつ、初めての代理店さんの仕事で40回は修正した日もあった。笑 名古屋に帰る時に家が見えてくると安心してぐっすり眠れた。

  2. 2019年10月・26歳

    毎月30万円の目標が達成出来ない。映像は作れるけど、クライアントとどう接すれば良いか分からなくてクレームの日々。価値を下げて、安売りをしようとしてる自分。

  3. 今年の頭の方の記憶はあんまり無いほどに、寝れない日々を過ごして。今年の夏ぐらいには、同時に案件を受けすぎて、何度か倒れた事も。

  4. 2020年4月

    コロナの影響を色々受けていて、2ヶ月かけてせっせと準備してきた新商品の映像制作が中止になったり、撮影案件がほとんど無くなったりと、正直、めちゃくちゃ不安になりました。

  5. 2020年11月・27歳

    3年前の23歳の時に、映像クリエイターになるって夢に投資して、300万近く借金をして、今年の3月に全て返済が終わって。

あの頃、新宿駅で

ちょうどその頃は、僕が東京でもみくちゃにされて、感情的にもボロボロな時期に制作をしてたのもあって、そんな時に園長先生と電話で口論になって、僕は口が滑って

「僕は仕事を選べる立場にいるんですよ!!」

なんて言ってしまった。

もう、その時は本当に色んなことが怖かった。東京って、情報が多い場所で、孤独で不安で、でも納期は待ってくれなくて、本当に怖かった。

それでも、5分後ぐらいに、僕は泣きじゃくりながら新宿駅で謝ったのを覚えていて、あの時に、園長先生が僕にかけてくれた言葉は今でも覚えてる。

— Instagram、2021年3月。僕に一番最初の映像のお仕事をくださった、幼稚園の園長先生の事

東京の電車で怖くて、恐れがある時に、泣きながらワーシップを聞いたり、仕事に行く現場の車の中で、神様に祈っていたり。

その時に初めて、僕と神様の個人的な関係を体験した。そんなシーズンだった。

去年の頭、東京に行った時、渋谷の交差点を歩いてる時に涙が止まらなかったのが、僕のターニングポイントだと思う

— Instagram、2020年7月

与えられていたもの

今の僕は、本当に色んな方々のお陰で成り立っていて、だからこそ、感謝を忘れる事なく、謙遜に、でも自分の賜物に誇りを持って、力強く、一歩一歩。

— Instagram、2021年3月

Film — 2020

2020 History of John

2020年の年末年始、一人でホテルに篭って作った映像。東京での日々、仲間との時間、取材の始まり。この1年を、自分の手で映像にした。

あなたは価値があって愛され尊い存在だから、周りがなんて言おうと僕はそう信じてる。

— 「2020 History of John」より
年末年始、ホテルにこもって編集していた時
年末年始、ホテルにこもって編集していた時

042020 — 2021

「ハッキリと、ジャーナリスト。」

そんな時に、機会が与えられたのが「生きててくれてありがとう。」だった。コロナの時で、自殺をする人がとても増えていた。北海道いのちの電話と、クリスチャンロックバンドのナイトdeライトのミュージックビデオ。神様の召命を感じた。

「生きててくれてありがとう」の撮影
「生きててくれてありがとう」の撮影
ナイトdeライトの撮影
ナイトdeライトの撮影
撮影の準備
撮影の準備
ナイトdeライトの撮影現場
ナイトdeライトの撮影現場
ナイトdeライトの皆さんと
ナイトdeライトの皆さんと
「生きててくれてありがとう」の撮影チームのみなさんと
「生きててくれてありがとう」の撮影チームのみなさんと

映像が人を承認する。

— 「生きててくれてありがとう」のDVDに添えたメッセージ

制作を終えた頃、ふたつの道に分かれて、片方は、世の中で映像の監督としてバリバリ働くこと。もう一つは、自分に与えられている召しに応答すること。とても悩んだし、祈っていた。

その時に、ジャーナルをして、聖書を読んで祈っていると、「ハッキリと、ジャーナリスト。」という声が、神様から聞こえた。

その頃の言葉 — Instagram、2020年6月

  1. 2020年6月の投稿から

    いつも通り、聖書を開くけど、何も語られない。心が動かない。こういう時に「神様がこう語ったって正当化すれば」楽だけど、大体実を結ばなかった。。。笑

  2. あぁ、もう限界だと思いつつ涙、涙で、最後に祈ろうって思った時に「ジャーナリスト、ジャーナリスト」とはっきりと言葉が聞こえて、語られた。

僕の人生の中で、ジャーナリストなんて言葉はなかったから、最初は驚いたけれど、その後すぐに、Instagramを通じて、当時大学生だった、ジャーナリストの小西君と出会った。

小西君と初めて出会った時。ジャーナリストの始まり
小西君と初めて出会った時。ジャーナリストの始まり
小西君と
小西君と

そして、その子が僕を、様々な社会問題や、気候変動が起きている現場を見せてくれて、最初は、愛媛県のプラゴミ。

小西君と、最初の取材
小西君と、最初の取材
愛媛・瀬戸内海の海ごみ
愛媛・瀬戸内海の海ごみ
海で拾ったマイクロプラスチック
海で拾ったマイクロプラスチック

その後が、北海道の積丹半島のトドの問題。その時に出会った藤田さんとの会話の中で、神様が僕に願っていることが、なんとなくわかってきた気がしていたが、全て自費で行っていたので、ギリギリの生活を送っていて大変だった。笑 二足の草鞋で、自分の仕事もしながら。

初めての取材のアポ取り。北海道・積丹
初めての取材のアポ取り。北海道・積丹
北海道・積丹
北海道・積丹
積丹の海。トドを撮るために潜った
積丹の海。トドを撮るために潜った
真冬の積丹
真冬の積丹

その後に、初めての自分の母国以外の国「バングラデシュ」に一ヶ月行くことになり、ロヒンギャ難民キャンプや、気候難民、気候海賊、児童結婚から、ありとあらゆる社会の問題を知った。

バングラデシュへ旅立つ
バングラデシュへ旅立つ
船の出航
船の出航
ロヒンギャ難民キャンプで
ロヒンギャ難民キャンプで
キャンプの中を歩いて取材
キャンプの中を歩いて取材
海沿いの村で
海沿いの村で
縫製工場での取材
縫製工場での取材
子どもたちと
子どもたちと
バングラデシュ、住人の方々と
バングラデシュ、住人の方々と
難民キャンプでのご飯
難民キャンプでのご飯
ドローンで撮った海沿いの村
ドローンで撮った海沿いの村

その日の言葉 — Instagram、ロヒンギャ難民キャンプで

  1. 2021年3月・27歳

    10年間映像やってきて、こんなにも明日が怖く、身体は撮影に行きたくないと嘆いているけど、誰でも出来る訳じゃないから、明日も全うしよう。

大きすぎる問題の中に、ちっぽけな自分で鬱々とする日々や、必死に生きてきた自分に対して、この国の人たちは良い意味に適当で生きていて、毎日キレてたような日々だったけれど、あのコックスバザールから船に乗って、次の街に移動をする時の仲間達と過ごした時間や景色は、一生の宝物。

一緒に旅をした仲間たちと
一緒に旅をした仲間たちと

そして、帰国をする頃に、現地でコロナに感染をして、現地の病院に入院をすることに。入院費も含めて100万円以上飛んでいって、仕事のキャンセルなどもあり、絶望。

現地の病院で
現地の病院で
入院した病室
入院した病室

あとから振り返って — Instagram、2024年4月

  1. 2021年4月

    様々なトラブルが発生して、合計で2ヶ月滞在する事になりました。日本でのお仕事もキャンセルになったり、信用の問題、仕事の問題も浮き彫りになって、当時の僕は映像のお仕事と、取材の活動とで全く余裕が無く、あの時、病院で不安で眠れなかった日も沢山ありました。

当時の言葉を、もっと読む(1)
  1. お金の事

    追い打ちをかける様に、海外ロケで長期滞在をするとガイドの方々にお支払いする費用もあるので、何百万円と自費で費用がかかり、貯金も底がつきました。

そして、帰りの飛行機で号泣しながら、神様に祈っていたことは、

「神様、これがあなたの御心であるならば、どうぞ続けさせてください。」

— バングラデシュからの、帰りの飛行機で

そして、その後に、奇跡は起こった。

無事に帰国
無事に帰国
NHKの取材
NHKの取材

ちょうど帰国をした頃に、NHKで「生きててくれてありがとう」の全国放送が流れて、アウトドア用品店に、いつものように取材用の服を見に行くと、そこの店長が放送を見てくださっていて、「ジョンさんがそういう活動をしているなら是非一緒にやりましょう。」と声をかけてくださり、そこから、そこのアウトドア用品のブランドとの契約や、助成を受けて制作をすることが進んだ。本当に驚いた。

与えられていたもの

僕なんかの力は何も無くて、こうなる様に計画があったように感じています。

— Instagram、2022年9月

この頃の作品 ゴスペルと音楽 証と講演

052022 — 2023

回復の季節。

その頃の言葉 — Instagram、2021年7月

  1. 2021年7月・27歳

    帰る家が無くなって、自分の中で信じていた人々や御心が正直わかんなくなった。追い討ちをかける様に、教会で同じ様に育った仲間たちがいつの間にか大人になってて、結婚したりとか、どこか遠くに行ったりで、会えなくなって、僕だけ取り残された感覚もあって。

  2. それでもジャーナリストの御心は変わってないからって、北海道行ったり、バングラデシュ行ったりして頑張ってたんだけど、自分が見えてた世界よりももっと世界は大きくて、バングラデシュから帰ってきた時に、完全に僕は壊れちゃってたんだよね。

  3. 元々幼少期の経験もあって、感情のコントロールが難しく、いつも躁鬱状態を繰り返しててさ。中学生ぐらいの時にお医者さんに見てもらった時から一切病院は行ってなくて、"精神安定剤"も飲んだ事は無くて。そこに依存するのは怖くて、怖くて。でも、そんな僕が病院に行って"精神安定剤"を必要とするぐらいに壊れてた。

  4. ずっと泣いてた。ずっと怒ってた。本当に悲しかった。「僕が何か悪い事したのかな?必死に生きてるだけなのに。」

  5. その悲しみの中でやっと気がついた事が1つあって、僕は自分の為に生きてた訳じゃ無くて、いつも誰かを喜ばせようと、裏を返せば愛されなくなるのが怖かったんだなって。

18歳から教会に通い始めてから、クリスマスは毎年、教会でお祝いをしていた。けれど、前に通っていた教会でいろんな事が起きて、2年間、クリスマスは孤独に過ごした。

そして、この頃に、関西聖書学院で再会をした。2022年の1月、関西聖書学院の記念映像の依頼をいただいて、神学の学びをしていた旧友のゆうくんと。

カメラを回しながら、自分の霊が喜んでいるのがすぐにわかった。懐かしい感覚。

— Instagram、2022年12月
2022年1月、関西聖書学院60周年のライブレコーディング
2022年1月、関西聖書学院60周年のライブレコーディング

そして、パークサイドチャペルに通うようになった。礼拝を受けながら、前の教会の事を思い出して、「僕は大丈夫。」「僕は傷ついていない。」って自分に言い聞かせていたけれど、そんな事は全然無かった。責めないし、聞かないし、いつまでも待ってて、信じてくれたパークサイドの一人ひとりの存在に支えられて。この数年は、回復の季節。

2023年4月、パークサイドチャペルのイースター。洗礼から11年目の日
2023年4月、パークサイドチャペルのイースター。洗礼から11年目の日
パークサイドチャペルの洗礼式の日に
パークサイドチャペルの洗礼式の日に
イースターの日、みんなの前で話す
イースターの日、みんなの前で話す
2022年のクリスマス、パークサイドのみんなと
2022年のクリスマス、パークサイドのみんなと

関西聖書学院が宣教の学校であることを初めて知って、カイロスコースを受けてみることに。その時に、神様が僕に言っていたことは「メディア宣教師」なのか?と感じて、今まで自分の嫌だと思っていたことが、全て益に変わった。

そして、キャンプを通じて、宣教師である小森先生との出会いで、アンテオケ宣教会と出会った。神様の導き。

2023年夏、ユースキャンプの礼拝
2023年夏、ユースキャンプの礼拝
キャンプの賛美
キャンプの賛美
キャンプで出会った仲間と
キャンプで出会った仲間と
このキャンプで、小森先生に出会った
このキャンプで、小森先生に出会った
2023年10月、カイロスコースの修了証
2023年10月、カイロスコースの修了証
関西聖書学院で、カイロスコースの仲間と
関西聖書学院で、カイロスコースの仲間と

僕が担う役割は、現地で起きてる事を映像で届ける。社会を繋ぐメディアの役割。

— Instagram、2023年10月、カイロスコースを修了した日に

その頃の言葉 — Instagram、2023年9月・2025年12月

  1. 2023年9月・29歳

    会社としては、2期目がもうすぐ終わって3期目に突入。僕は社長とか向いてないな〜って思う時も沢山あるし、もう辞めようって思う時もある。事業の事を考えないで、眠れた日は1日も無かった。

当時の言葉を、もっと読む(1)
  1. 29歳から30歳へ

    一番怖かった時は、29歳から30歳になって20代が終わる時に、必死に「20代のうちにやっておくべきこと。」「30代から何が変わる?」とGoogleで検索していたなぁと。

与えられていたもの

人間性を回復する旅は、1人では立ち向かえない。僕にとっては教会のコミュニティーや、大切な人たちが支えてくれて、向かうことができた様に思います。前に進むことだけが善ではきっとなくて、時には立ち止まって自分を回復させる季節も、僕は必要だと思います。

— Instagram、2025年12月

この頃の作品 パークサイドチャペル 宣教団体

Film — 2023.09.30

30歳の誕生日に

30歳の誕生日に公開した映像。誕生日当日は、これまでのまとめ映像の仕上げでずっと編集していて、僕らしい誕生日の迎え方だなぁと。綴りたい事、伝えたい事、沢山あるけれど、全てを、この映像に込めた。

神様、この人生をありがとう。

— 30歳の誕生日の映像より

062024 — 2025

故郷へ。そして、宣教の現場へ。

2024年の春から、アンテオケ宣教会に、メディアの分野で正式に関わる事になった。夏のユースキャンプ「じゃむきゃん」ではメディアスタッフとして記録映像を作り、10月の「結祈スペシャル」では「ソーシャルメディアによる異文化宣教」をテーマにお話しした。

お茶の水クリスチャンセンターで、アンテオケ宣教会の方々と
お茶の水クリスチャンセンターで、アンテオケ宣教会の方々と
アンテオケ宣教会の皆さんと
アンテオケ宣教会の皆さんと

僕のミッションは現地の宣教師の方々に取材しつつ、映像を制作して、働きを世界中に届ける事。

— Instagram、2024年7月
2024年夏、じゃむきゃんで撮影
2024年夏、じゃむきゃんで撮影
じゃむきゃんで話をした時
じゃむきゃんで話をした時
2024年8月、関西聖書学院でのじゃむきゃん。仲間と
2024年8月、関西聖書学院でのじゃむきゃん。仲間と

そして、パークサイドで信仰の回復の季節の中で、フィリピンの QQ English でインフルエンサー留学を知り、フィリピンに1ヶ月間の留学。いつもくっついていたパソコンとスマホを手放して、手に持ったのは、ノートとペンと聖書。誰でもないただの自分になって、心を静めて過ごす中で、「やっぱり自分は、出ていくように示されている」。そんな感覚が、じんわりと戻ってきた。

セブでの語学留学
セブでの語学留学
フィリピンで
フィリピンで

そして、その後に、母と一緒に、フィリピンの故郷に帰省。

母と10年ぶりに帰った故郷で
母と10年ぶりに帰った故郷で
母の故郷の家族と
母の故郷の家族と
帰省の最後の夜
帰省の最後の夜
親戚が集まった夜
親戚が集まった夜
親戚と
親戚と
故郷の教会で
故郷の教会で

血が繋がっていても、これまで目に見えて頼れる人は少なかった。けど、この地に来て血の繋がっている家族がこんなにもいて、いつも気にかけてくれて、祈ってくれて、守られていることを感じています。何よりも、何も気にしないで「そこに存在するだけで良い」という感覚は、随分久しぶりな感覚です。

— Instagram、2025年1月3日、母との帰省、最終日の夜

フィリピンから帰国する頃、教会はクリスマスムードで、いつものように礼拝に出ていると、ある一人の方が教会に来られていて、少し話すことに。その方は国際飢餓支援を行うNGOの方で、なんと息子さんが“最前線でカメラマン”をしていると。

「あ…神様、こういうことですか…」

— パークサイドチャペルの、クリスマスに

ちょうど映像スタッフの募集をしていて、「もし御心なら、導かれますように。」と祈りながら応募した。国際NGOの道が開かれていく。

同時期に、インドネシアミッションの働きへ。アンテオケ宣教会のメディアの働きも、一緒に担って行った。2025年8月、カリマンタンの地で18年間宣教師として仕え続けておられる恵先生と、多世代の仲間と宣教地を巡った。教会のキャンプやイベントで流れる宣教地の映像を見ても、なかなか理解できなかったり、イメージが出来なかったりすることがあった。数年前から、祈り始めていたことがある。

「この映像がちゃんと伝わって祈りが集まりますように。」「この映像を通じて希望が伝わって、献金や実際に行く人が起こされますように。」

— Instagram、2025年9月
2025年8月、インドネシア・カリマンタン島
2025年8月、インドネシア・カリマンタン島
インタビューの撮影
インタビューの撮影
川を渡って、村へ
川を渡って、村へ
山あいの村で、ミッションの仲間と
山あいの村で、ミッションの仲間と

「その国の文化に敬意を持って、適応していくこと。」宣教の学びの中で、これがとても難しかった。国外の取材ではいつも、初対面なのにいじられて、「なんで君がそっち側にいるの?こっち側だろ〜?」と言われる。もしかしたら、生まれ持ったルーツそのものが、武器なのかもしれない。自分が最も悩んでいた部分が、気がついたら最も強い部分に変えられていた。

18歳で初めて教会に出会った時、「いつか自分に与えられた『映像』という賜物で、世界に希望を届けたい」とこっそり描いていた夢。その夢が少しだけ、形になった気がします。

— Instagram、2025年12月、インドネシアミッションの映像が完成した日に

2025年の5月と6月には、テレビ番組「ライフ・ライン」で、2回にわたって、これまでの歩みを紹介していただいた。

与えられていたもの

神様、ありがとう! To God be the glory.

— Instagram、2025年12月、インドネシアミッションの映像が完成した日に

この頃の作品 宣教団体 証と講演

072025 —

送り出されて。

2025年7月、国際NGOの映像スタッフとして、所属することが決まった。入職は11月。志望動機はとってもシンプルで、「10代から映像一筋で歩んできたこの賜物を、社会のために用いたい」。

その夏も、教会のキッズキャンプとユースのキャンプへ。10代のあの頃から、一度も欠かしたことがない、教会の夏の大行事。変わらず、メディア係として。

2025年夏、教会のキャンプで
2025年夏、教会のキャンプで
キッズキャンプの子どもたちと
キッズキャンプの子どもたちと

パークサイドチャペルで、最も学んだことは、送り出される時にあった。

2025年10月、パークサイドのみんなが開いてくれた壮行会
2025年10月、パークサイドのみんなが開いてくれた壮行会

11月、パークサイドチャペルの皆さんに送り出された。小池っちには「僕、絶対泣くから…簡単な挨拶だけにするね」と伝えていたのに、準備していた原稿の4分の1を読んだあたりから、案の定、言葉が詰まり、涙が止まらなくなってしまった。遠くから「がんばれ〜!」の声援に背中を押されながら、何とか、感謝だけは伝えきった。

送り出しの日、牧師先生と
送り出しの日、牧師先生と
祈って送り出してくれた教会のみんな
祈って送り出してくれた教会のみんな
最後の日曜日に
最後の日曜日に

パークサイドチャペルで、僕が学んだことは、力む事ではなくて、自然体になっていくこと。自分でやろうとするのではなく、委ねること。与えられている人生の中で、力み続けてしまったら疲れてしまうし、自分の弱さを認める時、圧倒的な恵みが溢れて来ることを学んだ。

“何ができるか”よりも、“どんな実を結んでいくのか”

— Instagram、2025年7月

その日の言葉 — Instagram、大分の大規模火災の緊急支援を終えて

  1. 2025年11月・32歳

    僕には、まだ1週間が限界なのかもしれません。

  2. 普通にお話をしていれば色々お話しできたのですが、カメラを向けた途端に、突然目に見えないシャッターを下げられる様な感覚で。

そして、今は国際NGOの最前線で。入職してからは地元を離れて、慣れない環境だったり、孤独を感じたりとか、大変な時もあるけれど、予想以上にクリスチャンの方がとっても多く、学びが活かされ、ここに来た事も、全て御心の中で繋がっているなぁと感じている。

与えられていたもの

10代で映像と出会ってから、不器用なりにこの道を一筋で歩いてきて。リラックスして、力を抜いて、焦らず、構えず、委ねて、ただ“必要な場所に、静かに実を結んでいけたら”って思えるようになった様に思います。

— Instagram、2025年11月2日、送り出されて出発する前の日に

わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。

ヨハネの福音書 15章5節
Ministry Works 歩みの中で、作ってきた作品。 教会メディア・ゴスペルと音楽・パークサイドチャペル・宣教団体・証と講演 作品を見る →

神様、この人生をありがとう。

— 30歳の誕生日の映像より

バッドニュースを、グッドニュースに。2016年の夏から、変わらない願い

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