「どうして僕は、生まれたんだろう」――物心ついたころから、僕はいつも、そう考えていた。
愛知県で、フィリピンから来た母のもとに生まれた。僕が生まれてすぐ、実の父は姿を消した。母はビザが切れていて、強制送還を恐れ、出生届を出すことができなかった。だから僕には、しばらく戸籍がなかった。書類の上では、どこにも存在しない子どもだった。それでも、血のつながらない育ての父と、祖父は、そんな僕に惜しみない愛情を注いでくれた。戸籍のない僕を幼稚園や学校に通わせようと、町じゅうの学校を探し回り、初めてランドセルを背負った姿を見て、泣いて喜んでくれたという。
けれど、ようやく通えた学校で待っていたのは、いじめと差別だった。肌の色が違うから、顔が違うから、仲間はずれにされ、からかわれた。友達のゲームがなくなれば、真っ先に疑われるのは、いつも僕だった。一緒に遊んでいても、なぜか僕だけ、家に上げてもらえない。電車に乗れば、じろじろと見られ、隣の席を避けられた。なぜ自分だけが、と問ううちに、「自分は、居てはいけない人間なんじゃないか」と思うようになっていった。
僕は何も悪いことをしていないのに。
ただ生まれてきただけなのに。
自分を知らない場所でやり直したくて、地元から離れた高校へ進んだ。それでも、入学試験の日に耳に飛び込んできたのは、「あいつ外国人じゃない?」「将来、犯罪しそう」という声だった。学校では、当時のアメリカ大統領の名で「オバマ」と呼ばれ続けた。周りと同じ肌の色になりたくて、毎週のように薬局へ通い、化粧品を肌に塗った。そのことも、またからかわれた。そして16歳のころ、育ての父から、実の父ではないと打ち明けられた。信じていたものが、足元から崩れていくようだった。
そんな高校生活の中で、ひとつだけ、うれしいことがあった。昔からパソコンが得意で、情報の授業だけは成績が良く、同級生に教えていた。それをきっかけに、少しずつ友達ができた。ある日、その友達に「文化祭のライブで流す背景映像を作ってほしい」と頼まれた。写真を音楽に合わせてつないだ、10分間の映像。それが、学校中で話題になった。僕を知らない生徒も、先生も、褒めてくれた。自分が作ったもので、人を喜ばせる――生まれて初めての経験だった。「そのとき僕は、存在してもいい、生きていていいんだと思った」。
けれど、希望はまた閉ざされる。リーマンショックで家計が苦しくなり、専門学校への進学を諦め、僕は高校を出て、地元のスーパーで働きはじめた。ところが、レジに立つと、人前に出るのが怖くてたまらなかった。見た目のことを何か言われるのではないか。お客さんと目を合わせられず、レジ打ちの途中で、思わずしゃがみ込んでしまう。トイレに逃げ込んだこともあった。小さいころからためこんできた「自分は居てはいけない」という感情が、一気にあふれ出した。次第に、生きている意味がわからなくなり、死にたいと思うようになった。自殺をするのに良い場所はないかと考えながら、街を歩くようになっていた。
そんなある日、名古屋の街で、路上ライブに出くわした。感情もなく、その様子をぼんやり眺めていた僕に、演奏していた男性が声をかけてきた。教会の牧師だった。彼は励ますでもなく、ただ、僕の話を聞いてくれた。これまで誰にも言えなかった苦しみを、初めて打ち明けることができた。
「淳は、そのままでいいんだよ。」
他人が初めて、僕の存在を認めてくれた瞬間だった。
その牧師のいる名古屋の教会に、僕は通うようになった。純粋だった僕は、1ヶ月後には洗礼を受けた。教会というコミュニティに行くのが、嬉しくて、嬉しくてたまらなかった。初めて教会で誕生日を祝ってもらったとき、「生まれてきてくれて、ありがとう」と言われた。そんな言葉を、それまで一度も言われたことがなかったから、僕はボロボロ泣いた。お兄ちゃんやお姉ちゃんのような人たちに囲まれて、僕は、無条件の愛情の中で育て直された。映像も、写真も、デザインも、ホームページも、ライブ配信も――僕のすべては、この教会から始まった。
やがて、礼拝で流す映像を作らないかと誘われた。より良いものにしようと、3DCGやモーショングラフィックス、プロジェクションマッピングを、独学で身につけていった。その映像が人の目に留まり、企業の広告の依頼が、少しずつ舞い込むようになる。そうして僕は、スーパーのレジ打ちを辞め、与えられた賜物を信じて、映像のアルバイトを始めた。その道はやがて、東京へと続いていく。
「どんな小さな命も諦めたくない」――その言葉のいちばん奥には、この日々がある。僕自身が、諦められなかった小さな命だったから。誰かが諦めないでいてくれたおかげで、いま、ここにいる。だから今度は、僕がカメラを持つ番だ。光は、闇の中でこそ輝く。――それを、僕は身をもって知っている。
「光は闇の中で輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」
— ヨハネによる福音書 1章5節
この物語は、NHKでも紹介されました。
NHK WEB特集「ただ生まれてきただけなのに」 →
NHK北海道「ぼくが生まれた理由」 →
