この記事の要点
- 母はビザが切れていて、強制送還を恐れ、出生届を出せなかった。だから僕には、しばらく戸籍がなかった。
- 学校では差別といじめ。18歳で、生きている意味がわからなくなった。
- 路上で出会った牧師と教会、そして初めて作った映像が、「生きていていい」をくれた。
- 無戸籍でも、6〜15歳の子どもは学校に通えます。相談先は、記事の最後にまとめました。
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「どうして僕は、生まれたんだろう」
物心がついた頃から、僕はいつも、そう考えていた。
1993年、愛知県で生まれた。母はフィリピンから来た人で、向こうでは歌手をしていた。僕が生まれてすぐ、実の父は姿を消した。
書類の上では、存在しない子どもだった
母はビザが切れていて、強制送還を恐れ、出生届を出す事が出来なかった。だから僕には、戸籍が無かった。
書類の上では、僕はどこにも存在しない子どもだった。
僕は何も悪い事をしていないのに。
ただ、生まれてきただけなのに。
そんな僕たち兄弟を、血の繋がらない育ての父が引き取ってくれた。「この子たちは、何も悪くない」と。出生を証明する為の、気の遠くなるような書類を、祖父が死に物狂いで集めてくれた。
ランドセルと、大きすぎる学習机
戸籍の無い子どもは、幼稚園にも学校にも、そのままでは通えない。父と祖父は、名古屋じゅうの幼稚園や学校を回って、頭を下げ続けてくれたそうだ。それは小学校にも、中学校にも続いた。
幼稚園に入る日、家族は泣きながら、僕に子ども用のスーツを着せてくれた。初めてランドセルを背負った時も、父と祖父は泣いて喜んだという。子どもの僕には、その涙の意味がわからなかった。
決して大きくない家に、大きすぎるほど立派な学習机があった。父が大好きだったバイクが、ある日なくなっていた。僕たちを育てる為に売っていたのだと知ったのは、ずっと後の事だった。
「自分は、居てはいけない人間なんじゃないか」
ようやく通えた学校で待っていたのは、いじめと差別だった。肌の色が違うから。顔が違うから。仲間はずれにされ、からかわれた。
友達のゲームがなくなれば、真っ先に疑われるのは、いつも僕だった。一緒に遊んでいても、なぜか僕だけ、家に上げてもらえない。電車に乗れば、じろじろと見られ、隣の席を避けられた。
「なぜ、僕だけが」
そう問い続けるうちに、自分は居てはいけない人間なんじゃないかと、思うようになっていった。
自分を知らない場所でやり直したくて、地元から離れた高校へ進んだ。それでも入学試験の日、耳に飛び込んできたのは「あいつ外国人じゃない?」「将来、犯罪しそう」という声だった。学校では、当時のアメリカ大統領の名前で「オバマ」と呼ばれ続けた。
周りと同じ肌の色になりたくて、毎週のように薬局へ通い、化粧品を肌に塗った。それも、またからかわれた。
16歳の頃、育ての父から、本当の父親ではないと打ち明けられた。信じていた物が、足元から崩れていくようだった。
10分間の映像が、「生きていていい」をくれた
そんな高校生活の中で、一つだけ、嬉しい事があった。昔からパソコンが得意で、情報の授業だけは成績が良く、同級生に教えていた。それをきっかけに、少しずつ友達が出来た。
ある日、その友達に「文化祭のライブで流す、背景の映像を作ってほしい」と頼まれた。写真を音楽に合わせて繋いだ、10分間の映像。それが、学校じゅうで話題になった。僕を知らない生徒も、先生も、褒めてくれた。
その時、僕は初めて思った。
存在してもいい。生きていていいんだ、と。
死に場所を探して、街を歩いた
けれど、希望はまた閉ざされる。リーマンショックで家計が苦しくなり、専門学校への進学を諦めて、高校を出て地元のスーパーで働き始めた。
レジに立つと、人前に出るのが怖くてたまらなかった。見た目の事を、何か言われるんじゃないか。お客さんと目を合わせられず、レジを打つ途中で、思わずしゃがみ込んでしまう。トイレに逃げ込んだ事もあった。
小さい頃から溜め込んできた「自分は居てはいけない」という感情が、一気に溢れ出した。生きている意味がわからなくなり、死にたいと思うようになった。自殺をするのに良い場所は無いかと考えながら、街を歩くようになっていた。
「淳は、そのままでいいんだよ」
そんなある日、名古屋の街で、路上ライブに出くわした。感情も無く、ぼんやりと眺めていた僕に、演奏していた男性が声をかけてきた。教会の牧師だった。
彼は励ますでもなく、ただ、僕の話を聞いてくれた。これまで誰にも言えなかった苦しみを、初めて打ち明ける事が出来た。
「淳は、そのままでいいんだよ」
他人が初めて、僕の存在を認めてくれた瞬間だった。
その後、マクドナルドに行って話をしていると、聞かれた。「じゅんって、何かやりたい事ないの?」
「僕は、映像を作りたい!」
すると、教会の方も、映像を出来る人を探していた。進学を諦めて、一度は途絶えた希望。そこから、もう一度、映像制作が始まった。
教会で、育て直された
その牧師のいる名古屋の教会に、通うようになった。純粋だった僕は、1ヶ月後には洗礼を受けた。教会というコミュニティに行くのが、嬉しくて、嬉しくてたまらなかった。
初めて教会で誕生日を祝ってもらった時、「生まれてきてくれて、ありがとう」と言われた。そんな言葉を、それまで一度も言われた事が無かったから、ボロボロ泣いた。お兄ちゃんやお姉ちゃんのような人たちに囲まれて、僕は、無条件の愛情の中で育て直された。
礼拝で流す映像を、もっと良い物にしたくて、独学で学んだ。3DCG、モーショングラフィックス、プロジェクションマッピング。写真も、デザインも、ホームページも、ライブ配信も。僕のすべては、この教会から始まった。

その映像が人の目に留まり、企業の広告の依頼が、少しずつ来るようになった。スーパーのレジ打ちを辞めて、与えられた賜物(ギフト)を信じて、映像の仕事を始めた。その道はやがて、東京へと続いていく。
諦められなかった、小さな命だったから
「どんな小さな命も、諦めたくない」
その言葉のいちばん奥には、この日々がある。僕自身が、諦められなかった小さな命だった。誰かが諦めないでいてくれたお陰で、今、ここにいる。
だから今度は、僕がカメラを持つ番だ。今、自分は居てはいけないと思っている誰かに、この話が届きますように。
「光は闇の中で輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」— ヨハネによる福音書 1章5節
無戸籍とは? なぜ生まれ、どこに相談すればいいのか
僕のように、戸籍の無いまま育つ人がいます。いま、そのただ中にいる人や、その家族の為に、法務省が公開している情報をまとめておきます。
無戸籍とは
出生届を出さなければならない人が、何らかの理由で届けを出さない為に、戸籍に記載されない子どもがいる。法務省は、これを「無戸籍問題」と呼んでいます。理由の一つとして法務省が挙げているのが、離婚から300日以内に生まれた子が、法律上は元の夫の子とされてしまう「離婚後300日問題」です。
僕の場合は、母のビザが切れていて、出生届を出せなかった。理由は、一人ひとり違います。
戸籍が無いと、学校には行けないのか
法務省のよくある質問では、戸籍が無くても、次のような事が受けられると説明されています。
- 学校:戸籍や住民票が無くても、学齢(6〜15歳)の子どもは就学出来る
- 住民票:親子関係を確かめる手続きの途中なら、記載される場合がある
- 児童手当・児童扶養手当、保育所、健康保険、生活保護:住んでいる事や、出生証明書などで確かめられれば対象になる
僕が子どもの頃、父と祖父は、通わせてくれる学校を探して町じゅうを回ってくれた。いまは、まず市区町村の窓口で相談出来ます。
2024年4月から、民法が変わった
無戸籍をなくす為に、子どもの父を誰とするか(嫡出推定)の決まりが見直され、2024年(令和6年)4月1日から施行されています。離婚から300日以内に生まれた子でも、母が再婚した後に生まれていれば、再婚した夫の子と推定されるようになりました。
どこに相談すればいいか
全国の法務局・地方法務局と、住んでいる市区町村の戸籍の窓口で相談出来ます。戸籍に記載されるまでの手続きも、案内してもらえます。
制度の説明は、法務省のページの内容をまとめた物です。手続きは一人ひとり違うので、必ず窓口で確かめてください。
この物語は、NHKでも紹介されました。
・NHK WEB特集「ただ生まれてきただけなのに。」(2021年7月29日)
・NHK北海道「ぼくが生まれた理由」
出典:法務省「無戸籍でお困りの方へ」「よくあるご質問」、「民法等の一部を改正する法律(令和4年法律第102号)について」
2021年6月、記事が出た日の Instagramの投稿 も、ここに残しておきます。