教会で映像を作りはじめてから、僕の毎日は、映像一色になっていった。礼拝で流す映像、写真、デザイン、ホームページ、ライブ配信。毎週、毎月、毎年、映像漬けの日々。スーパーのレジ打ちを辞めて、与えられた賜物を信じて、映像のアルバイトを始めた。その道は、やがて東京へと続いていった。
数字だけを並べれば、それは駆け上がっていくような日々だった。スーパーで働いていた頃は、一件1万5千円。映像のアルバイトを始めて、一件15万円。独立して東京に出て、50万円。マーケティングを学び、監督として、200万円。仕事の規模は、年を追うごとに変わっていった。でも、いちばん怖かったのは、その速さに、自分の心が置いていかれそうになることだった。
映像の話になると、最初に出てくるのは、たいてい「予算」という言葉だ。けれど、僕が10年間いちばん大切にしてきたのは、「思いやり」だった。何千人といるクリエイターの中で、なぜ、自分に頼まれているのか。その人が人生を賭けて、命を燃やしてつくったプロダクトを、世に送り出す機会を預かっている——その自覚があれば、無理な要望に「できません」と突き放すのではなく、映像のプロとして「こうするのは、どうですか」と、理由とともに提案できる。予算と思いやりは、相反するように見えて、どちらも忘れてはいけない、大切なことだった。
元体操オリンピック選手のCM、著名なタレントのミュージックビデオ、元サッカー日本代表のプロジェクトのモーショングラフィックス。都会の華やかな現場で、アニメーションを、演出を、映像広告を、必死に磨いた。あるテーマソングに出会ったときは、最初のミーティングで曲を聴いた瞬間、直感で「これは、日本を励ます」と感じた。制作期間は数週間しかなかったけれど、僕は制作費を全部つぎ込んで、仲間たちと徹夜で作り上げた。都内の当たり障りのないスタジオで、ただの仕事として作るのは簡単だ。でも、その人の生き方を通して、諦めないで生きることを、誰かに届けたかった。
元体操選手のCMのときも、僕が惹かれたのは、華やかな舞台そのものではなく、その裏で、7年ものブランクを越えて、静かに練習を続けてきた姿だった。「挑戦するのではなく、継続する」。技術のことなら、いくらでも語れるようになっていた。人間は情報の8割を視覚から受け取る。だから、どう視線を導き、どんな色で、どんな動きで、人の心を動かすか——「人間の目を、ハックする」なんて、生意気なことも考えていた。
何千人といるクリエイターの中で、
なぜ、あなたに頼まれているのか。そこに向き合うこと。
この時代に、大切な仲間もできた。2年間、映像を教えてきた教え子であり、右腕であり、弟のような存在。彼と向き合いながら、僕はいつも思っていた。「才能がないように見える子も、才能がないんじゃない。環境がないだけ、信じてくれる人がいないだけなんだ」。一人の人が、一人の可能性を信じて、諦めずに愛し続ける。それだけで、どれだけの夢が紡げるだろう。かつての僕自身が、そうして救われたように。
スーパーのレジで「外国人じゃん」と避けられていた僕が、映像という賜物ひとつで、ここまで歩いてこられた。だから僕は、この賜物を信じている。——ただ、正直に言えば、この頃の僕には、良い意味でも悪い意味でも、プライドがあった。固執していた部分も、あったと思う。走って、努力を重ねて、追い抜いて、追い越して。その"力み"が、いつか自分自身を追い詰めていくことに、このときの僕は、まだ気づいていなかった。
「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」
— ペテロの手紙 第一 4章10節
