この記事の要点

  • 23歳、機材もパソコンも無い所から、300万円近い借金を背負って映像を仕事にした。
  • 誰も知らない東京で、徹夜の毎日。クレームの日々から、名前の知られた企業の仕事へ。
  • いちばん大切にしたのは、予算よりも「思いやり」。そして、まだ気づいていなかった“力み”。

教会で映像を作り始めてから、毎日が映像一色になった。礼拝で流す映像、写真、デザイン、ホームページ、ライブ配信。毎週、毎月、毎年、映像漬けの日々。

スーパーで働きながら、土日に映像を作り続けた。「絶対に映像を仕事にする」と諦めずに、6年。

23歳、300万円の借金から始めた

23歳の3月、映像を仕事にすると決めた。機材も、編集をするパソコンも、何も無い所からの始まりだった。家は裕福ではなかったから、僕に投資をしてくれる人は居なかった。

だから、自分に与えられた賜物(ギフト)を信じて、300万円近い借金を背負った。

後に引けない状況。誰も知らない東京での日々。
徹夜の毎日。

人は、それくらい大変な状況の時に、本気で生きる事しか選べなくなるのだと思う。

スライダーに載せた業務用ビデオカメラ
駆け出しの頃の機材。

映像は作れる。けれど、届けられない

最初の1年は、毎月の目標に届かなかった。映像は作れるけれど、クライアントとどう接すればいいのかがわからない。クレームの日々。値段を下げて、安売りしようとする自分がいた。

「このままじゃ、だめだ」

お世話になっていた教会の仕事を離れて、1年間、修行に出ると決めた。目標は三つ。誰もが知っている企業の仕事をする事。クリエイターの間で知られる存在になる事。作れるだけではなく、課題を解決して、届けられる人になる事。

プライドを置いて、とにかく色んな人に教えてもらいに会いに行った。クライアントワーク、マーケティング、ブランディングのいろは。同時に仕事を受けすぎて、何度か倒れた事もある。笑

撮影現場での成田淳の横顔街中でジンバルカメラを準備する成田淳
東京での撮影の日々。

1年が経つ頃には、大きな企業の仕事にも関われるようになっていた。一件1万5千円だった仕事が、15万円に。独立して東京に出て、50万円。マーケティングを学び、監督として、200万円。仕事の規模は、年を追うごとに変わっていった。

でも、いちばん怖かったのは、その速さに、自分の心が置いていかれそうになる事だった。

予算よりも、「思いやり」

映像の話になると、最初に出てくるのは、たいてい「予算」という言葉だ。けれど、僕が10年間いちばん大切にしてきたのは、「思いやり」だった。

何千人といるクリエイターの中で、
なぜ、自分に頼まれているのか。

その人が人生を賭けて、命を燃やしてつくったプロダクトを、世に送り出す機会を預かっている。その自覚があれば、無理な要望にも「出来ません」と突き放さない。映像のプロとして「こうするのは、どうですか」と、理由と一緒に提案出来る。

予算の向こう側にいるのは、必ず人だ。予算と思いやりは、相反するように見えて、どちらも忘れてはいけない大切な事だった。

「挑戦するのではなく、継続する」

元体操オリンピック選手のCM、著名なタレントのミュージックビデオ、元サッカー日本代表のプロジェクトのモーショングラフィックス。都会の華やかな現場で、アニメーションを、演出を、映像広告を、必死に磨いた。

元体操選手のCMの時、僕が惹かれたのは、華やかな舞台その物ではなかった。7年ものブランクを越えて、現役の頃と変わらない演技が出来たのは、なぜか。答えは、日々のストレッチを続けていた事だった。挑戦するのではなく、継続する。その思いを込めて作った。

あるテーマソングに出会った時は、最初の打ち合わせで曲を聴いた瞬間に「これは、日本を励ます」と感じた。制作期間は数週間しかなかったけれど、制作費を全部つぎ込んで、仲間たちと徹夜で作り上げた。都内のスタジオで、ただの仕事として作るのは簡単だ。でも、その人の生き方を通して、諦めないで生きる事を、誰かに届けたかった。

大きなスクリーンにプロジェクションを映したイベント会場
演出と映像を手がけたイベントの会場。

技術の事なら、いくらでも語れるようになっていた。人は情報の8割を目から受け取る。だから、どう視線を導き、どんな色で、どんな動きで、人の心を動かすか。「人間の目を、ハックする」なんて、生意気な事も考えていた。

才能が無いんじゃない、環境が無いだけ

この時代に、大切な仲間も出来た。2年間、映像を教えてきた教え子であり、右腕であり、弟のような存在。彼と向き合いながら、いつも思っていた。

才能が無いように見える子も、才能が無いんじゃない。
環境が無いだけ。信じてくれる人がいないだけなんだ。

一人の人が、一人の可能性を信じて、諦めずに愛し続ける。それだけで、どれだけの夢が叶うんだろう。かつての僕自身が、そうして救われたように。

まだ気づいていなかった、“力み”

スーパーで働いていた頃の成田淳
スーパーで働いていた頃。

スーパーのレジで「うわ、外国人じゃん、このレジやめとこ」と避けられていた僕が。映像という賜物一つで、ここまで歩いてこられた。だから僕は、この賜物を信じている。

ただ、正直に言えば、この頃の僕には、良い意味でも悪い意味でもプライドがあった。固執していた部分も、あったと思う。走って、努力を重ねて、追い抜いて、追い越して。その“力み”が、いつか自分自身を追い詰めていく事に、この時の僕は、まだ気づいていなかった。

「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」— ペテロの手紙 第一 4章10節
成田淳

成田淳(Narita Jun)

映像作家・映像ジャーナリスト。1993年名古屋生まれ。ピースウィンズ・ジャパンのスタッフとして災害・人道支援の現場に立ちながら、ドキュメンタリーを制作している。グリーンフィルムフェスティバル2024 最優秀賞。生い立ちと活動は、NHK全国特集『ただ生まれてきただけなのに。』で紹介された。