この記事の要点
- 回復の旅から帰った教会のクリスマスで、人道支援NGOの方と出会い、映像スタッフの募集に祈りながら応募した。
- 2025年11月、ピースウィンズ・ジャパンの映像スタッフに。入職2日目には、フィリピンの台風の現場にいた。
- 「映像が人を承認する」という信念と、再生回数という現実。その間で、もう一度心が燃えている。
更新
誰でもない、ただの自分になって、心を静める。フィリピンでの回復の日々の中で、「やっぱり自分は、出ていくように示されている」。そんな感覚が、じんわりと戻ってきた。
「神様、こういう事ですか」
帰国した頃、教会はちょうどクリスマスムードに包まれていた。いつものように礼拝に出ていると、ある方が来られていて、少し話す事になった。
その方は、国際的な人道支援を行うNGOの方で、なんと、息子さんが最前線でカメラマンをしているという。僕の中で、レーダーがピンと音を立てた。
「神様、こういう事ですか」
ちょうど映像スタッフを募集していると知り、「もし御心なら、導かれますように」と祈りながら、応募した。2025年7月、国際NGOピースウィンズ・ジャパンの映像スタッフとして、所属が決まった。入職は、11月。
「僕は、きっと、何も知らない」
志望動機は、とてもシンプルだった。「10代から映像一筋で歩んできた、この賜物を、社会の為に用いたい」。
でも同時に、ずっと見ないようにしてきた事があった。社会の事、環境の事、難民の事。テーマとして関わってきたけれど、頭で理解しているだけのような気がしていた。「僕は、きっと、何も知らない」。それが、正直な感覚だった。
日本でも世界でも、これから災害はもっと増えていく。紛争の中で生きる人もいれば、社会の構造の中で声をあげられない人もいる。これまでの経験や痛みを通して、希望を届ける映像の働きが出来るのだとしたら、全力でやってみよう。
教会から、送り出された日
教会の皆さんに送り出される日。この3年間の事を思い出そうとすると、涙が溢れて、溢れて、止まらなくなった。「絶対泣くから、簡単な挨拶だけにするね」と伝えていたのに。用意していた原稿の4分の1も読まないうちに、言葉が詰まってしまって。笑
遠くから聞こえた「がんばれ〜!」の声に背中を押されながら、なんとか、感謝だけは伝えきった。
10代で映像と出会ってから、不器用なりに、この道を一筋で歩いてきた。20代の後半からは、どうしても他人事に出来なくなっていった。災害、気候変動、紛争、難民、国を追われる人々の事。自分自身と、重なる部分もあって。
入職2日目、フィリピンの台風の現場へ
危険な場所に向かう事も増えるので、まずは研修を受けて、ゼロから学び始めるつもりだった。けれど入職して2日目、事務所で作業をしていると、突然声をかけられた。その日のうちにカメラを持って空港へ向かい、台風が直撃したフィリピン・セブの現場にいた。
そこから、大分の大規模火災、能登半島地震から2年の被災地、インドネシア・アチェの水害へ。緊急支援の現場で、撮る事と伝える事の距離を、毎回問い直している。

力を抜いて、委ねる
当時の僕は、「僕なんかが行ったって、何も変わらない」と思ったりしていた。逆に「神様がくれた賜物で、希望を届けたい」と、どこか肩に力が入っていたりもした。
でも今は、少しずつ変わってきた。リラックスして、力を抜いて、焦らず、構えず、委ねて。ただ、必要な場所に、静かに実を結んでいけたら。そう思えるようになった。
“破壊と創造”のなかで
この仕事の中で、いくつもの“破壊と創造”があった。揺らがずに信じてきたのは、「映像が人を承認する」という事。依頼してくれた方々や、その背景に見える人たちの為に、丁寧に取材をして、濃く作る。いつしか映像が人になって、歩いて、届いていく。
けれど、そこに相反するように存在していたのが、「より多くの人に届ける、再生回数」という現実だった。人道支援や気候変動よりも、犬や猫のほうが、ずっと多く検索されている。数字と睨めっこするのは、とても苦手だった。
けれど、数字と影響力はイコールで、この山を乗り越えたら、見える景色はまったく違うのかもしれない。緊急の災害が起きた時、世間の関心が集まり、寄付が集まり、現地に支援物資が届く。その仕組みのいちばん最初に、映像がある。
自分が本気で作った動画が、数百万のインプレッションを出して、今もどこかで、必要としている誰かに届いているのだとしたら。やっぱり、映像に人生を賭ける意義があるのかもしれない。不安だった部分に、希望が同時に灯った。
絶対に、諦めたくない。
久しぶりに、胸がふつふつと燃えている。
最前線に、とどまって
“何が出来るか”よりも、“どんな実を結んでいくのか”。回復の旅の中で、そう教えられた気がする。
力む事ではなく、自然体になっていく事。自分でやろうとするのではなく、委ねる事。命を守る事、学んだ事を誰かに届ける事を、僕らしく、コツコツ続けていきたい。いつかは長編の作品を作って、上映会を開けたら。訪れて撮るのではなく、最前線にとどまって、実を結んでいけたらと思っています。
「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」— ヨハネによる福音書 15章5節