20代を終えて30代に入ったとき、最初に思ったのは、「あ、人生って、とっても長いんだな」ということだった。何に追われていたのかも分からないまま、「20代が人生のすべてだ」と、燃え尽きる寸前まで走ってきた日々。得たものはたくさんあったけれど、その代わりに、失いかけたものもあった。

いちばん怖かった時期は、29歳から30歳になる、その節目だった。「20代のうちにやっておくべきこと」「30代から何が変わる?」——そんな言葉を、必死にGoogleで検索していた。世間や社会は、アラサーだ、アラフォーだと、人の背景も傷も知らずに、独特の年齢の物差しを当ててくる。周りが結婚して家庭を築いていく中で、自分は大丈夫だろうかと、不安に襲われる夜がたくさんあった。——「これは、いつか自分が壊れる」。そう感じた。

記憶を辿ると、いつも同じ場所に行き着いた。「自分は、愛されていなかったんじゃないか」「捨てられてしまったんじゃないか」。そして、ずっとブラックボックスのままだった、血縁上の父のこと。僕は誰かを愛せたとしても、いつか傷つけてしまうんじゃないか。父親になることなんて、できないのかもしれない。そう思って、悲しい夜を過ごすこともあった。人生が思っているよりずっと長いのなら、ちょっと、休んでみよう。そう感じて、僕はフィリピンへ渡った。いつも手放せなかったパソコンとスマホを置いて、持ったのは、ノートとペンと、聖書だけだった。

世界中の現場を撮ってきて、いちばん撮るのが難しかったのは、自分自身のルーツだった。僕の半分は、フィリピンでできている。それなのに、その国の言葉を、ちゃんと話せなかった。どこへ行っても「You look like Filipino」と声をかけられ、現地の言葉で話しかけられる。話せないと伝えると、大爆笑された。それでも不思議なことに、どこでご飯を食べても、なぜか懐かしい感覚があった。自分に流れる血を、憎んできた時間が長かったからこそ、深いところに、ずっと迷いや葛藤があったのだと思う。ずっと蓋をしていた部屋の鍵が、一つ、また一つと開いていくようだった。

回復の旅は、一気には進めなかった。まず2023年、友人とフィリピンへ行って、少しずつ慣らした。翌年、ひとりで語学留学へ。現地の文化と歴史に触れて、自分の母国が、大好きになった。そして年の暮れ、10年ぶりに、母と一緒に、母の故郷へ帰った。母がかつて生きた土地に立ち、母の口から、僕がまだ知らなかった昔の話を聞く。そして、血縁上の父の名前を、はじめて聞いた。「どうやら僕は、何から何まで、父そっくりらしい」。

ルーツを辿るというのは、知らない場所へ行くことじゃなく、
ずっと自分の中にあったものに、やっと会いにいくことだった。

あれから、目に見える大きな変化があったわけではない。それでも、あの時から確かに違うのは、僕の中に、なぜか「圧倒的な安心感」が、ずっと僕を包み込んでくれていることだ。まだ会ったことのない父その人のこと——埋まらない空白は、いまも僕の中にある。それでいい、とは、まだ言えない。でも、その空白があるからこそ、僕は誰かの"欠けた場所"に、優しくなれるのかもしれない。前に進むことだけが、善ではないと思う。時には立ち止まって、自分を回復させる季節も、人には必要だ。この回復の旅は、これからも、続いていく。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
— 伝道者の書 3章11節